合掌


以前2006年7月10日の日記に書いたこともあるのですが、私、西原理恵子さんのマンガが大好きでして。
最近単行本とかは買いそびれてしまっているのですが、以前日記にも書いたとおり、こちらのサイト(毎日母さん)を楽しみに見ていたのです。


今日、3月20日に鴨志田穣さんが亡くなったことを知りました。


鴨志田さん、マンガでは「鴨ちゃん」「鴨」と呼ばれてましたが、西原さんの元夫でフリーのカメラマン。
「アル中でどうしようもないキャラ」としてマンガに登場することが多かったのですが、やはり憎めないキャラというか。
結婚前の西原さんの記事を読んだことがありますが、少なくとも当時はとても幸せそうだった記憶があります。
結局鴨ちゃんのアル中が原因で離婚することになってしまうのですが、その後もマンガには登場してましたし、最後は一緒にも住んでたみたいです。
かなり体が悪いということは、最近のマンガにはよく書かれていましたし、西原さんもかなり心配されたのでしょう。
頻繁に「酒をやめろ!」っていうネタが多かった気がします。


詳細は省略しますが、鴨ちゃんはかなりハードな人生を歩んできていたようです。
そしてフリーのカメラマンとして、主に戦場や極限状態にある国に行って、報道用の写真を撮影していたようです。
西原さんのマンガには、そのことが面白おかしく書かれる事が多かったのです。
「生まれて初めてのホールドアップがロケットランチャー」とか、
インドネシアの暴動を見に行って、ステージの屋根ではしゃいで落っこちた」とか。


でもたまに、そんな極限状態の人間を見てきた鴨ちゃんだからこそ言えるんだろうなあ、っていう話が載ってて、ハッとしたこともありました。


東南アジアを歩いていると、白人の一家に褐色の子供が混ざっているのをよく見るんだそうです。
それを見て鴨ちゃんはこう言います。
「僕は今までカンボジアでたくさんの死体を見てきたから、カンボジアの子供を1人、引き取りたいな。」


また、ポルポト支配地域最前線で仲良くなった13歳の兵士からサトウキビをもらった時、カナダのカメラマンから「彼らはもうすぐ死ぬんだ。そんな人から物をもらうんじゃない。」と怒られ、「そのサトウキビの味は今でも忘れません。」
と。


そんな世界の片隅まで見て経験して知っている鴨ちゃんにしかできないことって、まだあったんじゃないかな。
でも、まだまだお子さんも小さいようですけど、離婚したとはいえ一人で生きてきた鴨ちゃんに家庭ができた、っていうのは、幸せなことだったんじゃないかと・・・勝手に思ってます。


今は西原さんの悲しみが癒えるまで、執筆の再開を待ちたいと思います。


そして、知り合いでもなんでもないけど・・・鴨ちゃんが安らかに眠れますように。