プリンセスプリンセス ラスト


大学2年の時でした。
1996年、プリンセスプリンセスが解散するというニュースを聞きました。


正直「PRINCESS PRINCESS」以降、彼女たちの曲を聴くことは少なくなっていました。
いることが当たり前だったし、テレビで見ること、町で歌が聞こえてくることも自然でした。
「PRINCESS PRINCESS」以降、「DOLLS IN ACTION」「BEE−BEEP」「Majestic」といったアルバム、「KISS」「パイロットになりたくて」「ジャングルプリンセス」「Summer Vacation」といったシングルがリリースされています。
しかし、中学生の時のように夢中で聞くことは少なくなっていたと思います。
生活の中に当たり前にあったが故に、素通りしてしまっていたのかな、とも思います。



そして後で知ったことですが、奥居(当時)香さんは、プリンセスプリンセスというバンドを振り返ってこう語っています。


『BEE−BEEP』以前の作品は、作曲をする努力や苦労をしたことがほとんどなく、日常生活の色々な場面の中でBGMとして流れてきたメロディーを形にしただけなのです。それ以後は、待っても待ってもメロディーが聞こえてこなくて必死で作った曲も何曲かあります。


そしてその後


プリンセスプリンセス』というバンドの制約に気付いたのもこの頃でした。でも制約があるからこそバンドなんだ、とも思うようになりました。


とも語っています。
決してイヤになったからでなく、発展的に彼女たちが解散を決めたのは自然な流れだったのかもしれません。
だからこそラストツアーに「解散を遊ぼう!」という言葉をつけたのでしょう。


解散を決めた後、ラストシングル「Fly Baby Fly」、アルバム「The Last Princess」、アンコールシングル「夏の終わり」がリリースされ、日に日に解散が近づいてきました。
解散ライブは5月31日。場所は日本武道館
どうしようか悩んでいましたが、同じようにプリンセスプリンセスの解散を聞いた友人と二人、武道館へ行くことにしました。
5月30、31日の2days。
夜明けから近所のぴあに並びましたが、取れたのは30日のバックスタンドでした。


バックスタンドということでやや不満でしたが、実際の席は思いのほかステージに近く、逆に袖まで見えて楽しかったです。
確か「SEVEN YEARS AFTER」から始まったのかな。
途中「赤坂小町*1」時代の曲をはさみつつ、アンコールの「DIAMONDS」「19 GROWIN’ UP」まで、あっという間でした。
でもとても楽しく、素晴らしい時間でした。


そうそう、ライブの途中こんなことがありました。
袖で出番を待つ奥居さんが隠れているところで、ちょっと騒ぎ出したバックスタンドの僕たちに「しーっ」と合図。
にもかかわらず一緒に行った友人が「ほっそいな〜」っと言っていたら、奥居さんが声のした方(僕たちの方)を見たのです。
その後ステージに出て行った奥居さんが「今ね、そこに隠れてたら『ほっそいな〜』とか言われたのね。もっと太いと思ってたのかしら。失礼よね〜。」とMC。
嬉しかったなあ。


途中中山加奈子さんのMCで、赤坂小町プリンセスプリンセスの全曲が収録されたCDが出ることがわかりました。
「1曲100円よ。安いよね〜。」と言われ「そうだよな。」と思った僕たちは、翌日速攻で予約しに行きました。
それがこれ*2

学生には大きな出費(12,000円)でしたが、あの時無理して買っておいてよかったと思います。
もう10年も経ってボロボロですが、久々に引っ張り出して聴いてみました。
また幸せな気分になれました。


このCDのブックレットに、中山加奈子さんはこう綴っています。


5年後10年後、ふとこの大全集を戸棚から引っ張り出し、記憶の底で眠りかけていた私たちの音楽にもう一度触れてくれようとしている人たちのために


あれからちょうど10年が経ちました。
あの時ライブに一緒に行った友人も、結婚して子供ができました。
僕は今、何かを残そうとしているのでしょうか。
そして人を幸せにするような何かを作れているのでしょうか。
次元は違うけど、少しでも彼女のように何かを残して、生きたい。
そう思うのです。

*1:プリンセスプリンセスとして活動を始める前の彼女たちのバンド名。「赤坂小町」「JULIAN MAMA」とバンド名を変え、最後に「プリンセスプリンセス」となった。

*2:完全限定版。シリアルナンバー入り。